新潟でも福島でも大体、鶴ヶ城と呼ばれています。
1384年蘆名氏が建てた東黒川館が始まりとされる。
その後、蘆名氏→伊達氏→蒲生氏→上杉氏→蒲生氏→加藤氏→保科氏・会津松平家、となって幕末を迎えました。
幕末の会津戦争の激戦地で、1ヶ月に渡る籠城戦を展開しました。
現在の天守閣は1965年に鉄筋コンクリート造りで復元されたものです。
いつもの入り口は閉鎖されていて、通常は出口のひとつ、売店の横から入場するようになっています。
内部は、歴史資料館になっています。
最上階の展望台からの眺めです。
中央奥、三角で山頂が雲に隠れた山が、磐梯山(1816m)
飯盛山方面を望む。
赤白のポールの先が飯盛山。
ポールの先、山がひな壇状になっているちょうど真ん中辺が、白虎隊自刃の地です。
本丸があった広場です。
2001年に復元された南走長屋です。
その南走長屋では、八重の会津戦争までをまとめた紙芝居を見る事が出来ます。
これを見ると、その内容が漫画になった小冊子がもらえます。
通常は、干飯櫓(ほしいやぐら)から外に出る事が出来ますが、現在は、雪の為、折り返して、売店まで戻る形になります。
とりあえず、思った事は、外より中の方が寒かった。