県境の峠が見えてきた、当時はもっと上を通っていたが、車道を拡幅する際に掘り下げたと言う。
往時は、明神の向いや並びに茶店た家が並んでいるが、現在は数件の民家が残るのみ、昔は、茶店や宿屋を営んでいたのだろうか?
境の明神(栃木県側)
境の明神は、自国側を玉津島明神(衣通姫)、他国側を住吉明神(中筒男命)と呼んだようだ。女神は内を、男神は外を守ると言う信仰にもとづいている。
奥州街道が開かれると、奥州・越後の大名が通り、また、多くの旅人が通った、この道も、新国道や鉄道の開通で、すっかり寂れてしまった・・・確かに、4号線や東北道に比べれば圧倒的に通行台数は少ないのですが、道幅が狭く、路肩がほとんどないところに時々大型が通ってくるので、非常に怖い思いをしました。