丸子山な日常

丸子山な日々を綴ります。

飯盛山

「江戸時代後期、戊辰戦争に際して新政府軍と幕府方の会津藩の間で発生した会津戦争に際して、会津藩では藩士子弟の少年たちで構成される白虎隊と呼ばれる部隊が結成され抗戦するが、そのうち士中二番隊が戸ノ口原の戦いにおいて敗走し撤退する際に飯盛山に逃れ、鶴ヶ城周辺の武家屋敷等が燃えているのを落城と錯覚し、もはや帰るところもないと自刃した地でもある…Wikipediaより」

飯盛山の昇り口に到着です。
土産店は、半分位冬期休業中です。

登り方は、階段とエスカレーターがあります。

え?どちらか行くかって…もちろん階段だぜ!
 
ようやく半分です。
せっかちなので、なぜかここまで走って登りました。

上の広場に到着です。
ここには、この地で自刃した白虎隊十九士が眠っています。
新政府軍は、会津軍の戦死者を葬る事を禁じていたのですが、付近の住民が目を盗んで埋葬したそうです。

白虎隊自刃の地へ向かいます。
道が曲がっている所の外側に、この地で唯一蘇生した、飯沼貞吉(貞雄)の墓があります。

 
白虎隊自刃の地です。
戸ノ口原の戦いで敗走し、戸ノ口堰洞穴から飯盛山に逃れてきた白虎隊は、この場所から、会津若松城が落城していると思い、自刃しました。

会津若松城を望みます。

どこにあるか分かりますか?

ズームで、目印は、手前のポールです。
本当に、小さくしか見えません。



ちょっと下って、会津さざえ堂です。
二重らせん構造で、右回りに上る斜路と左回りに下りる斜路が別々に存在する。入口から斜路を最上階まで上り、他者とすれ違うことなく、別の斜路を降りて出口から出ることができます。
 
 
江戸時代は、三十三観音が祀られていて、観音めぐりが一度で出来る便利な御堂だったのですが、現在は、他所へ移管されています。


戸ノ口堰洞穴
戸ノ口原から敗走してきた白虎隊がここから飯盛山に辿り着きました。


冬の飯盛山は、雪で滑りやすくなっていますので、訪問される際はご注意ください。
所在地:福島県会津若松市
訪問日:2013年2月1日